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衣更着神社本殿

更新日:2021年02月25日

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衣更着(きさらぎ)神社は、宮沢川が菅川と合流する地にある。神社の由来については不明であるが、一説によると、もと菅村の上村(かみむら)にあった氏神宮と同じ地に祀られていたと伝えられる。
宝暦7年の『吉蘇志略』によれば、「按ずるに衣更著之名甚だ新なり然し里民は伝を失う。由る所を知らず。惜い哉。祭礼八月朔日。」とある。
昭和11年の『長野県町村誌』には「衣更着神社 村社 社地東西十二間、南北十間、面積八畝歩 菅耕地の東方にあり。祭神事代主神。祭日九月十一日。」とある。
前面に神楽殿があり、石段を登った正面に衣更着神社、その右側に八幡宮、左側に氏神宮が祀られている。
これらは、明治42年9月神社合併により、上村の氏神宮と神出にあった八幡宮をここに合祀したものである。
現在、氏神宮の跡地には、宮元であった上栗屋、大平、原邑の人々によって、祠跡保存の記念碑が建立されている(大正4年建立)。
建築については、いずれも覆屋の中に建つ一間社流造(いっけんしゃながれつくり)、こけら葺の社殿である。
衣更着神社は、向拝に軒唐破風(のきからはふ)が取り付けられ、向拝虹梁(こうはいこうりょう)の上には松、琵琶板に鳳凰の彫刻がついている。
装飾性の強い正面に比して妻飾(つまかざ)りは本蟇股(ほんかえるまた)、虹梁(こうりょう)、大瓶束(たいへいつか)で、簡素である。
江戸時代後期の立川流の影響を受けた工匠の作とみられる。
八幡宮もほぼ同年代のものとみられるが、氏神宮はそれより古く江戸時代中期のものとみられる。
なお、衣更着神社には虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)の懸仏と、鰐口が奉納されている。
祭礼は毎年9月1日に行われていたが、近年は9月の第1日曜日に行われている。
祭礼には獅子舞が奉納されるが、昔は「衣更着神社の花火祭り」といわれたほど花火が盛んに打ち上げられたものである。
若い衆が競って花火を作り、竹のタガをはめた木の筒で花火を打ち上げ、境内では盛大に木曽踊りが行われたという。
『西筑摩郡誌』には「往古祭典二月なりしなるべし、陰暦二月の異名衣更着なればなり」とあるがその確証はない。
昭和59年8月合祀70年記念事業として、境内の整備が行われ、鳥居二基も新しく建てられた。

「木祖村の文化財めぐり」(S61.3.25発行・木祖村教育委員会)より

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令和2年度長野県地域発元気づくり支援金を活用し多言語翻訳事業を実施しました。

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