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薮原神社本殿附取外し鬼板1個

更新日:2021年02月25日

薮原神社は、由緒略記によれば、天武帝9年(681)縣坂(あがたざか)頂峯に熊野の神々を勧請鎮祭せられたのが創始と伝えられている。
本殿は、三間社流造(さんげんしゃながれつくり)で、屋根は切妻造り、こけら葺。
桁行3.27m梁間1.85mで覆屋(間口4間、奥行7間)が拝殿となっている。
建築について、背面を除く三方に縁をめぐらし、それにぎ宝珠高欄をつけ、左右その奥に脇障子がある。正面に五段の木階をおき、その三方を囲むように浜床(はまゆか)がある 組物は、二手先(ふたてさき)で、二段の支輪(しりん)に波と雲の彫刻をはめこみ、中備(なかぞなえ)の本蟇股(ほんかえるまた)は枠をはみ出すほどの彫刻である。
本殿は、江戸時代後期立川和四郎富昌の壮年期の作であり、建築彫刻の特色は、向拝の庇に軒唐破風(のきからはふ)をつけており、題材が豊富で各所に多数の彫刻が施されている。宝づくしと呼ばれる題材の万寿頭の金嚢などは、この時代の建築彫刻としては非常に珍しく、立川流工匠の作品の中でも類例の少ない彫刻とされている。
正面虹梁上の親子獅子と牡丹・木鼻(きばな)の唐獅子と獏(ばく)の頭部(左側は獏を欠く)・海老虹梁(えびこうりょう)の上り龍(左)・下り龍(右)・手挟(たばさみ)の菊・蟇股(かえるまた)の鷹と柏・波に千鳥・竹に雀・同工匠のお家芸の彫刻といわれる粟穂に鶉・山葡萄に兎なども、殊に優れた作とされている。
「木祖村の文化財めぐり」
(S61.3.25発行・木祖村教育委員会)より

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令和2年度長野県地域発元気づくり支援金を活用し多言語翻訳事業を実施しました。

この記事へのお問い合わせ先

木祖村役場 教育委員会

住所:長野県木曽郡木祖村薮原1191-1/ 電話番号:0264-36-2001/ FAX番号:0264-36-3344

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